A la recherche du sens de la vie

てきとーうに、色んなこと、書きます!笑

語り継がれる娘の命

2019年1月24日

震災に関する取材撮影のため石巻に現地入りした。前置きするが「取材」といっても人が想像するようなたいそうなものではない。語り部(震災について語り継ぐ人)の方の話を聞くことが自分にとってメインだった。

 

取材撮影に至った経緯については、また今度書き記すことにする。今回は、自分が実際に現場に立ち、話を聞いて直に感じたことだけを文章にしたいと思う。

 

今回取材を引き受けてくれた西城江津子さん、佐藤美香さんは当時6歳の娘を震災で亡くしている。東日本大震災から8年目を迎えた今も、娘の命を伝承するため語り部活動を石巻で続けているのだ。

 

震災で子供達が亡くなった背景には、幼稚園側の大きな過失あった。

 

子供達が通っていた日和幼稚園は海抜23m、安全な高台にある。しかし、震災直後、幼稚園はバスを海沿いに向けて出発させてしまう。その結果、津波に巻き込まれて帰らぬ人になってしまった。

 

なぜ子供達は命を落とさなければなければならなかったのか。

震災当日のバスの足取りを追い、母親達は各ポイント地点で足を止め語ってくれた。


日和幼稚園前

後の裁判では、幼稚園はバスを出した理由を「いち早く親元に子供たちを返したかった」と説明した上で、「職員のほとんどは防災無線が聞こえなかた」と釈明している。しかし、防災無線は、幼稚園から目と鼻の先にあった。

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この距離で聞こえなかったなんてあるだろうか?

実際に現場に立ってすぐに感じた印象だ。

 

「近所の人達も警報が鳴り響いていたの聞こえていたのに..子供達でさえ聞こえていたはず…聞こえなかったなんてありえない」

 

母親達の言葉と現場の風景は確かな説得力があった。幼稚園は聞こえていたにもかかわらず嘘をついてなかったことにしたのか。仮に聞こえていたとしてもそれで済まされるものなのか。ラジオやスマホで情報取集すれば守れた命ではないか。

 

防災無線をただ呆然と見つめるしかなかった。

 

門脇小学校前

バスは幼稚園を出発後、大津波警報が鳴り響く中、沿岸地域を走り回った。海沿いの園児たちは、途中で助けに来た保護者に引き渡されバスは門脇小学校に向かう。

 

「バスを上げろ!」園長からの指示を受けた先生2人が、津波が迫りくる門脇小学校に停車していたバスに追いつき、幼稚園にバスを戻すように伝えた。

 

しかし、先生2人は、バスに園児たちをのせたまま、幼稚園に戻ってしまったのだ。

 

実際の現場を歩いて感じたことがある。

門脇小学校から高台にある幼稚園までの距離は歩いてたった2分〜3分の距離だった。

 

「ここは本当に悔しい場所…ここで、先生達が降ろしてくれていれば…子供達は助かったし…ここで再びバスが出発する時、子供達はどんな気持ちだったか…子供達は先生達迎えに来てくれたって思ったはず…それにもかかわらずバスは出発してしまった…子供達は相当怖かった思う」

 

小学校の後ろには、急傾斜な坂になっている。従って、先生達がすぐに子供達を降ろし、幼稚園まで連れて行けば間違いなく助かっていた。

 

門脇小学校の生徒は、地震直後すぐに坂を登り指定避難場所の日和山に避難して、多くの生徒が助かった。先生達の冷静な判断が命を紡いだ。

 

この場所で明確になったのは、幼稚園と小学校の「防災意識の差」だろう。小学校は地震が起きた時、どのようにして子供達の命を守るのかを理解していた。幼稚園にはそれが出来ていなかった。日頃の防災への準備が怠っていたとしか言わざる得ない。事実、幼稚園の園長は防災マニュアルを個人の金庫にしまったまま、職員に配布していないことが震災後に明らかになっている。

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被災現場

先生の指示を受けた運転手はバスを幼稚園に向けて出発させるが、高台に避難する車の渋滞で動けなくなる。

 

そして津波に巻き込まれた。

 

運転手1人だけが助かり、幼稚園に戻り、被災場所を報告。しかし、救助活動は行われず、津波から10時間後に火災で焼きつくされることになる。震災から4日後、焼きただれたバスが発見された。

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佐藤美香さんはこの焼きただれたバスから子供たちを見つけた時の様子を語ってくれた。

 

「子供達を見つけたときは、子供達の表情さえわからない状態で、真っ黒こげです、真っ黒こげで…どの子もそうですけど下半身はなくて…抱きしめたくても抱きしめられない状況です、抱きしめようとすると壊れるんです…」

 

胸が熱くなった。想像するだけで、心が痛んだ。唾を呑み込み、唇を噛み締めた。遺族が語る言葉から目を背けてしまいそうだった。助かるはずだったのに、助からなかった我が子の命。佐藤さん西城さんは冷静に発見した時の状況を話してくれていた。しかし、同時に幼稚園への怒りも静かに、しっかりと伝わってきた。

 

 

 

震災から8年

子供達が亡くなった被災現場近くには家が建てられている。

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街並みは変化し、道路は整備され、防波堤も強化されている石巻

 

それだけ、時の流れを強く感じさせる。

 

それでも。どんなに月日が流れようと。子供達の命を無駄にしたくはない。震災の教訓として命を繋いでいきたい。そんな強い想いから、西城さん、佐藤さんは今も娘の命を語り続けている。